日本スペースガード協会

福岡記はもう一日休んで、科学ネタを。


日本スペースガード協会という科学財団があります。
天体衝突と、それが引き起こす災害から地球環境を護ることを目標として、地球に衝突する可能性のある小惑星、彗星をはじめとする地球近傍小天体の発見と監視を行っている団体です。同時に、これらの天体に関する広範囲な研究の促進とその啓蒙普及を図っています。こういった活動は全地球的規模で進める必要があるのですが、この日本協会は国際スペースガード財団をはじめ、諸外国の目的を同じくする団体と連携をもって活動しています。この団体の存在を知ったのは7年くらい前。何か自分の小説のネタになるようなものがないかと本屋をウロウロしていた際に見つけた本に書いてあったのがきっかけです。



6,500万年前に恐竜たちを絶滅に追いやったのが地球外からやってきた小惑星(彗星?)だというのが最も有力な説。それ以外にも、世界各地にあるクレーターは隕石の仕業ですし、1908年にシベリアのツングースカで起こった天体の空中爆発は、直径60m〜100m・10万t の物体が地上6km〜8kmで起こったもの。この爆発によって、半径約30 kmに渡って森林が炎上し、約2150 km²の範囲の樹木がなぎ倒されたようで、1000km離れた家の窓ガラスも割れたそうです。破壊力はTNT火薬にして10〜15メガトンとか。爆発によって生じたきのこ雲は数百km離れた場所からも観測できたそうです。この時の衝突速度は秒速30kmとされています。後ほんの数時間(数時間など天体からしてみれば瞬きも出来ない短時間です)、このお客さんが遅れてやってきていたら、世界の歴史は大きく変わっていたかも知れません。この爆発地点からほぼ真西にサンクトペテルブルクがあり、その頃、その街にはレーニンが住んでいたのです。


※クーリック探検隊による写真(1927年) 〜一定方向に樹木がなぎ倒されている様子が写っています。



ちなみに恐竜を一掃し(といっても、絶滅といえる状態になるまでに天体衝突から100万年くらいかかったそうですが)、地球を叩きのめした天体は、直径10km・重さ10億tの天体がぶつかったとか。実はこの天体、ユカタン半島のチュクシュブールに落ちたもののみが有名ですが、研究の結果、アイオワ、北シベリアにも同時に落下したとか。で、このとんでもない重たい御仁が地球をどのように叩きのめしたかというと。。。


※チュクシュブール(ユカタン半島の隕石跡〜重力分布データによる解析)


1. 衝突した際にエネルギーを解放。焦熱地獄と化す。
  →エネルギーはTNT火薬相当で80Tt(テラ・トン/広島型原爆が15Kt程度なので、その50億倍程度)

2. 強風と津波が世界中を蹂躙。
3. 火災によって発生した煤煙によって、温室効果をもたらす。
4. 毒ガス、酸性雨が世界中を覆う。


これらが複合して、この時代の70%の生物を絶滅に追いやったと。この4つが、地球の隅々の生態系に極めて長い時間、影響を与え続けたとのことで、陸、空、海、川と、地上のあらゆる場所で繁栄していた恐竜たちもあえなく歿した、というわけです。


日本スペースガード協会、そして国際スペースガード財団は、人類、地球にとんでもない破壊をもたらす天体を監視し、近傍天体の危険性を広報している団体です。恐竜たちを追い散らした規模の天体は1億年に一度程度の来襲としても、また、ツングースカ規模の天体衝突も稀だとしても、都市など1つ破壊するのにこんな大きさの石は必要なく、生態系に深刻な影響を及ぼすにしても、たいした大きさのものは必要ないとすれば、監視を怠るわけにはいかない、というわけです。不幸にも近傍天体がふらりと地球にぶつかってみようという気を起こしたとしても、落ちてきそうな地域に住んでいる人は避難出来ますし、規模が大きなものであれば、そしてその危険が早い段階で分かっていれば、今の世界のお歴々たちが持つ核兵器と、現在あるロケット技術を駆使することで災厄を回避出来ると言われています。その段階まで来ると科学財団の仕事ではなく国連を筆頭とする(筆頭であるべき)政治の問題となってきますが、少なくともわたくしどもの科学水準で回避が出来る、というわけです。


隕石、小惑星、彗星がどれほど危険かは、月をご覧いただければ納得されるかも知れません。地球より小さく、ということは重力も弱く標的になりにくい月でさえあのような有り様。。。また、1994年に起こった一大天体ショー「シューメーカー・レヴィー第9彗星」の木星衝突が記憶に新しいかと存じます。木星の重力によって21個にも引き裂かれた彗星が、意趣返しにと木星に弾丸のようにぶつかっていった天体現象で、この時の模様は全世界にテレビ中継されたほどです。


※月 〜結構打ちのめされているようです……



※シューメーカー・レヴィー第9彗星の分裂



太陽系は意外に危ない場所で、油断していると思わぬ一撃を喰らうことのある混雑した道路のようなところのようです。。。

福岡8 Cafe 「Nanの木」〜休憩……

香椎宮を出て、香椎参道の一画にあるカフェへ。中津宮に行く船の中でコーヒーを飲もうと言っていたのに、実現したのはあれから4時間後の今!……う〜ん。。。で、見つけたのが、ここ「Nanの木」。外にもテーブルとチェアがあったのと、かわいらしい名前に魅かれて、香椎宮に行く途中に気になっていたところです。



曇りながら、まだ雨が降る心配はなさそうだったので外のスペースに座を占めコーヒーを注文して一服。ホットコーヒーがこんなにおいしいとは、、、ほッと一息つきながら、今夜食べる食のコースの打ち合わせです。今回福岡に来て食べていないジャンルは焼きギョウザ、モツ系とラーメン。ラーメンは明日食べるとして、今夜は焼きギョウザに。またもビールが大いにすすむ最高のチョイスです!


根が生えたようにのんびりと居座った後、店内に入ってみたところ、ギャラリーとしてスペースを貸し出されているようで、今回は綺麗な草花の絵……というのか、画像が飾られていました。オーガニック系のこだわりお菓子やコーヒー豆、サトウキビ100%使用の砂糖など、楽しげな商品がいろいろと並んでいます。もちろん店内にもカフェスペースがあり、みなさまご歓談されておられるようです。


それにしても、オープンカフェというのはいいですね! こういうところでコーヒーを飲みながら読書なんて最高です。MacBookAir を持ち込んで原稿書きもオツかも知れませんねえ……詩情あふれる表現の一文も浮いてこようというものです。ただ、太陽光線の角度によっては液晶画面が見えなくなるので要注意ですが。


さて!
これから再度天神の夜にもぐりこみます。
食べ物……旅の楽しみとして、これに過ぎたるものはございませんな!


しかし、この香椎参道、趣がありますねえ……


福岡7 香椎宮

中津宮の次は福岡市東区にある香椎宮。「香椎」の名は敷地内に香ばしい香りの「棺懸(かんかけ)の椎」が立っていた事に由来するとのこと……風趣がございますなあ……御祭神は四柱の御神体である仲哀天皇神功皇后応神天皇住吉大神。今は仲哀・神功の二座をまつっています。


香椎宮は、両側に街路樹のある美しい道を抜けたところにあります。街路樹の無数の枝が道路にかぶさる様は圧巻で、晴れた日でも屋根のようになった枝や葉が日差しや熱波を防いでくれるでしょう。野ざらしの駐車場に車を止めて神域に入ると、まずは公園があります。そこには菖蒲(多分)が美しい池があり、その池の中には弁財天の祠が。



香椎宮本殿は鳥居をくぐり、階段を上がったところにあります。もう一つの鳥居を過ぎ楼門まで来ると、頭部が異様に小さな狛犬が両翼に現れます。きちんと阿吽を表していますが、胴体の大きさに比べてかなり小さめ。不思議に思いながら楼門をくぐると、御神木『綾杉』が迎えてくれます。ウィキペディアでは『神功皇后三韓征伐から帰国した際、三種の宝を埋め、「永遠に本朝を鎮護すべし」と誓いを立てて鎧の袖の杉枝をその上に挿したものが現在の大木となったとされる。普通の杉と葉の形状が異なり、綾状になっていることからこの名が付いた。大宰帥に任じられた者は、香椎宮に参拝し神職からこの杉の葉を冠に挿されるのが恒例とされていた』とある、極めて由緒のあるものだそうです。朱に塗られた塀に囲まれた杉の木は、歴史が幾重にもからまるように垂れ下がった形。神が宿る……さもありなんと思います。。。



拝殿、本殿は左に折れて階段を登り、中門をくぐったところにあります。
本殿は日本唯一の『香椎造』と呼ばれる建築様式。
また、香椎宮には本殿と拝殿の間に幣殿というのがあり、これは勅使が参拝した折、御幣物を捧げる場所だそうです。現在でも10年に1度吉日を選定し、宮内庁より勅使が遣わされているそうで、その際に使われるのでしょう。最近では平成17年(2005年)に遣わされたそうです。


※本殿の香椎造〜この画像はウィキペディアより






そうそう。
神域には武内宿禰(たけのうちすくね)の像がありました。そういえば、香椎宮の外になるのでしょうが、近くに高陪神社というのがあり、武内宿禰がおまつりされているそうです。この武内宿禰、我が鳥取にある因幡一宮『宇倍神社』の御祭神。長寿と健康の神様です。



香椎宮に参った後、近くのカフェで休憩することにしました。
街路樹が並ぶ街道のそばに素敵なカフェを見つけました。



※コメントをくださった方々……すみません。。。出来るだけ早くお戻しします、、、

福岡6 宗像大社の中津宮

腹ごしらえをした後、神湊港ターミナルにて大島までのフェリー「おおしま」に乗ります。我々を待ち受けているこのフェリー、車も積める211人乗りで、神湊港と大島港を25分前後で結んでいる生活の足です。1時間半〜1時間50分前後に1本というダイヤなのですが、ちょうど我々が辿り着いた時には出港10分前。日頃の行いに気をつけると、こういうちょっとしたところで報いがあるものです。船賃は片道500円。往復チケットを買い、既にお客さんが大勢いる船内に行きましたが、景色好きな私としてはやはりデッキに、ということで、吹きさらしのデッキへ。



船が動き出すと、海風がまともに当たるので思いの外寒くて、運行時間が30分弱なのでいいですが、長時間だと間違いなく風邪を引くでしょう、、、観光船ではないので、船の前部に出たり、海が真下に見える場所まで出て行くというわけにもいかないので、デッキの後部から船体が海面を裂く様子でも見ようと思ったものの、船尾に車両用の跳ね上げ式スロープのため、そんな風情も吹き飛びます。遠くに見える島や浮き灯台を眺めて、しばし波間に浮かぶ木の葉のような境遇を楽しむだけで30分弱の船旅は終わりです。



さて、いよいよ上陸です。次の出港は20分後か2時間後……というわけで、お目当ての中津宮にお参りしたら喫茶店かどこかで身体を温めるためにもコーヒーでもとなりましたが、少なくとも、大島ターミナルから歩いて5分ほどの中津宮まで、そのような店は皆無。釣具屋さん、食堂、民宿はありましたが、それらさえ営業しているのかどうか、とんと分からず。。。



取りあえず中津宮に参ることにして、鳥居をくぐり中津宮参道を歩きます。朱に塗られた柵がとても鮮やかで、非常に丁寧に手入れがされていると感じます。この神社は【福岡4】でもお書きしたように、湍津姫神(たぎつひめのかみ)をおまつりしています。天照大神素戔嗚尊(すさのおのみこと)の誓約の段で、天照大神素戔嗚尊の持つ剣を譲り受けて宗像三女神を生み、素戔嗚尊の物実から生まれたので素戔嗚尊の子であると宣言されたとのこと。この三女神は宗像の民が信仰している神であると記されているそうです。石段を登るとこじんまりとした本殿が現れます。ここでも朱に塗られた柵や灯籠がまぶしく、誰もいない神域は森閑としています。



宗像大社辺津宮、この中津宮、そして遥か沖合にある沖津宮を直線で結ぶと、その延長戦は朝鮮半島に達します。古代から海上交通の要衝として往来があったとのことですが、単に交易だけではなく、文化、政治、思想なども行き来していたということでしょう。現代のフェリーで30分弱ということは、当時では……遥か古代……伝承では日本神話に起源を持つらしいのですが……半日〜1日くらいの距離だったのでしょうか。中津宮は特に海運漁業者の方々の信仰が篤いとのことですが、神話時代からそうだったのだろうと想像するととても不思議な気分になります。



神社を降りて、結局はすぐにフェリーで戻ることにしました。コーヒーも飲めず、他に時間を潰す術もなさそうですので、退散と決まりました。島の反対側には遥か玄界灘に浮かぶ沖ノ島をのぞむことの出来る「沖津宮遙拝所」があるそうですが、今回は断念。それと、ここ大島には「さざなみ館」という観光施設があるとのことですが、用事もないのでやはりターミナルへ。3分後に出港する高速フェリー「しおかぜ」に乗り込んで、島を後にしました。こちらは15分で神湊港に着く速いヤツで、あッという間に神湊港に。


駐車場で車に乗り込み、再び福岡市内に戻ります。
次は香椎宮です。

アンドロメダ星雲 M31

福岡の記録は一日休み、本日は遥か宇宙空間の一隅に思いを馳せようかなと。


アンドロメダ銀河は、我らが銀河系のすぐそばにある最もポピュラーな天体の1つで、肉眼でも見えるお隣さんです。子供の頃から目、双眼鏡、望遠鏡で観た馴染みの天体で、小学生から高校時代まで描いていた自作漫画に登場させていたこともあり、230万光年の彼方にあるにも関わらず、身近な感じがする銀河です。


アンドロメダ銀河 M31


我が銀河系は恒星が2,000〜6,000億個含まれると言われていますが、アンドロメダ銀河は約1兆個。渦巻の形を銀河で、恒星の密度が濃く一見して銀河と判る部分の見た目の直径は約13万光年(しかし最新の研究では22〜26万光年とされています)。直径8〜10万光年の我々の銀河系よりも大きく、局部銀河群で最大の銀河です。局部銀河群というのは、重力に引かれて寄り集まっている銀河の集団のことで、銀河系、アンドロメダが含まれる局部銀河群には40前後の大小の銀河が身を寄せ合っています。その重力源は、この群の最大のお隣のアンドロメダさんです。このお隣さんは秒速300kmで我が銀河系に近づいており、おおむね30〜40億年後には衝突するとか、、、とはいえ、この二つの銀河が衝突しても太陽やその他の恒星が互いに衝突することはなく、衝突から約10億年後には二つの銀河は合体して1個の楕円銀河を形成すると考えられています。


※我が銀河系の想像図(棒渦巻き系?)


銀河系内の星の密度と、宇宙に散らばる銀河の密度は格段に違います。我が太陽から隣のアルファ・ケンタウリまでの距離は4.3光年。太陽の直径は約130万kmなので、自分の直径の約3,200万倍の距離(計算、合ってますかね?……)まで行かないと隣人の顔を見ることは出来ないということです。人間の肩幅が60cmだとしたら、新しい友達を作ろうと思ったら1,920万cm、つまり192km先まで歩かないと目標はかないません。また、別の本では、銀河系の星の密度は“太平洋にスイカを3つ”といったことも書かれていたように思います。


ところが、銀河はそうではありません。我が銀河系の直径を10万光年とすると、アンドロメダ銀河までは23個で足ります。人間で言うと14m程度。普通に会話をするには若干遠いですが、孤独に悩む距離ではありません。まあ、人間社会では、10m離れれば誰もが匿名希望……みたいなものですが。。。とはいえ、銀河の平均密度がこうとは限りません。宇宙にはグレートウォールという大規模構造があることが分かっていて、銀河は、先ほどの局部銀河群のようなものが集まって銀河群、銀河団を形成しているのですが、この銀河群や銀河団が更に集まって超銀河団を形成しています。この超銀河団は平面状の壁のような分布を示していますが、この巨大な壁をグレートウォールと呼んでいます。



※宇宙の大規模構造(イメージ)〜「知の統合プロジェクト』より

1980年代になって、1枚のグレートウォールと他のグレートウォールとの間には光を発する天体がほとんど無い領域があることが明らかになったそうで、これを超空洞(ボイド)と呼びます。その直径は1億光年を超える、まさに大規模構造。この大規模構造はグレートウォールと超空洞が複雑に入り組んだ構造であるが、これはあたかも石鹸を泡立てたときにできる、幾重にも積み重なった泡のような構造です。つまり、泡の膜面たるグレートウォールには銀河が存在し、泡の中の空洞たる超空洞には銀河がほとんど存在しない、ということです。大規模構造は宇宙初期のゆらぎが重力不安定性によって成長してできたものだと考えられていて、この構造を作っている銀河の相関関数の観測と数値シミュレーションとの比較から、現在のような構造を作るためには、宇宙の質量の大部分は冷たいダークマターからできている必要があるとされています。……と、ここまで来ると宇宙論、ひも理論などなどが出て来るのでストップ。。。


で、アンドロメダ星雲です。
アンドロメダ座は秋に見える比較的分かりやすい星座で、このアンドロメダ銀河は肉眼で見える数少ない系外銀河。これ以外で肉眼で見られる銀河系外の天体は、南半球でないと見られない大マゼラン雲、小マゼラン雲くらいです。といってもぼんやり見えるだけですし、これは15cmくらいの望遠鏡でも余り変わりません。20〜25cm以上の望遠鏡で淡く渦巻き状の構造が見え始める程度です。中心部に2つの巨大なブラックホールが存在することが分かっており、1兆個もの星々やその他を合わせた巨大な質量を束ね、近傍の局部銀河どもを引き寄せているパワーを発揮していると、、、


※「Yahoo!きっず星空』より

230万光年の彼方のアンドロメダ銀河……光が230万年前に発せられていま我々の目に届いたということで、230万年前の姿を観ている、という言い方がされます。まったくその通りで、月並みでさえある言い方ですが、そう思いながら星空を見上げると全く不思議な気持ちになります。230万年前というと、ボイセイ猿人という御仁がエチオピクス猿人から進化した時代と言われて……ああ、何のことか分からないのですが、とにかく、目のくらむような昔。たった今、向こうを出た光を230万年後に受け取るのは誰なんでしょう。誰もいないかも、地球には。。。


あ、思いを馳せすぎて、こんな時間。。。

福岡5 宗像の魚

宗像大社辺津宮を辞して車は北へ。宗像大社中津宮がある大島へのフェリー乗り場「神湊波止場」を目指す前に腹ごしらえです。魚をメインに供するお店が街道沿いに点在していますが、どれがいいのかは車内からは分からず、取りあえず「道の駅むなかた」に。そこは、わたくしの近所のスーパーなんかかなわない人混みで、特に物産直売所はすごい人。野菜、魚、肉など、どれも非常に安く、わたくしも近所にあれば通い詰めそうなほど。鳥取国の「道の駅」もこんな感じで、新鮮で安い地元の食べ物が売られていて、土日は大賑わいですが、記憶している限り、ここほどではなかったように思います。


※この画像は『道の駅むなかた』より拝借


さて、道の駅から引き返して大きな看板に“いくら丼!”と書かれているお店の前に車を止めて玄関先を覗いたものの閉店!……うううん……紛らわしい。隣の建物には魚やイカがすいすい泳いでいるイケスがある店が。もちろん、店の親父さんに捕まったらすいすいどころじゃなくなるんですが。。。新鮮なおいしい魚をいっぱい食べられるという機運が高まります。


その名も海彦
注文したのはアジ定食と刺し身定食。ところが、注文したブツがなかなか来ない……両方とも来ないのならまだしも、友達のアジはばっさり切られて運ばれてきたのに、わたくしめの刺し身はまだ切られていないのかイケスで泳いでいるのか、なしのつぶて。他のテーブルのお客さんも同じような状態で、ある料理につくテンプラだけがいつまで経っても出てこず、多分、狙いを定められた魚がイケスで逃げ回っていた模様……まあ食べられるほうとしてはたまったものではないでしょうが、食べるほうも苦しい立場に立たされます、、、


※アジ定食


とはいえ、出された魚はやはり新鮮!……あ、当たり前ですな……さっきまでぴんぴんしていたものですから……弾力があり、つるりと喉の奥まで入り込む感覚。さすが海の神様がご鎮座する地の魚です。待つのにくたびれてしまいましたが、料理はとてもおいしいのでよしとしますか。。。


玄界灘からイケスに流刑に処された魚でお腹を満たした後はいよいよ海の上に。
船に乗るのは久方ぶりで楽しみです!

福岡4 宗像大社

6/14はまず宗像大社へ出掛けました。
博多から車で30分弱の宗像市に鎮座する天照大神の三柱(みはしら)の御子神をおまつりしている大社で、日本各地に6,000余りある宗像神社の総本社です。この三女神のお名前は、田心姫神(たごりひめのかみ)湍津姫神(たぎつひめのかみ)市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)。どの女神様もお美しくあらせられるに違いありません。今では確かめる術もございませんが……ちなみに、沖ノ島沖津宮には田心姫神、大島の中津宮には湍津姫神、田島の辺津宮には市杵島姫神がそれぞれおまつりされていて、この三宮を総称して宗像大社と呼ぶそうです。


※『宗像大社公式HP』より拝借


宗像地方は、中国大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にあったようです。 『日本書紀』には、天照大神の「永遠に皇室をお助けし、皇室からも厚いお祭りを受けなさい」との神勅(天照大神のお言葉)により、三女神がこの宗像の地に降りられ、おまつりされるようになったことが記されています。 特に沖津宮がおまつりされている沖ノ島は、九州と朝鮮半島とを結ぶ玄界灘のほぼ中央にあります。女性はこの島には渡れず、今でも古代からの風習をそのまま守り続けている神の島でもあります。この島は《海の正倉院》と呼ばれていて、昭和29年以来十数年に渡り沖の島の発掘調査が行われているらしく、4、5世紀から9世紀までの石舞台や古代装飾品などの大量の祭祀遺物が発見されたそうです。是非とも行きたいのですが、こちらに向かうのは極めて困難そうです、、、


さて、車もまばらな広大な駐車場に車を止める神域に向かいますが、やはり鳥居をくぐると襟を正す思いになります。土曜日の午前なので人もまばらな参道の端を歩くと2つ目の鳥居が現れます。それをくぐり太鼓橋を渡ると手水舎でおなじみの儀式を。その後にしっかりと足を踏みしめて本殿の神域へ。人もいないためか非常に静かな境内には重要文化財辺津宮本殿、辺津宮拝殿のほか、宗像神領の七十五末社、百八神(やおよろずのかみ)もおまつりしています。この末社、ぐるりとコの字型に本殿を取り囲んでいて、合計で108の神様が鎮座しているとか。神様の数が多いほうが、ほうっておけば手に負えなくなる人間の守り神として目が行き届くというものでしょう。特にわたくしめには専属で神様の五柱くらいついていただきたいものです。


 

※本殿                  ※宗像神領の七十五末社の一部


本殿の鎮座する神域の裏手に第二宮、第三宮があります。ここにはそれぞれ沖津宮中津宮の御分霊をおまつりしてあり、この2つの社は伊勢神宮の第60回御遷宮古材によって再建された唯一神明造の社殿とのことです。 伊勢神宮の別宮である伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の古殿で造営され、第二宮が沖津宮沖ノ島)、第三宮が(大島)の御分霊をお祀りしています。


  

※第二宮(ていにぐう)                  ※第三宮(ていさんぐう)


さて、そこから更に奥の道(「高宮への悠久の道」と言うそうです)を上っていくと『高宮祭場』と呼ばれる場所があります。ここは宗像大神ご降臨の地といわれ、遥か古代よりこの地でお祭りが行われて以来、現在も古式にのっとって続けられているとか。 神籠(ひもろぎ)・磐境(いわさか)というお祭りの原点を今に残す、全国でも数少ない古式祭場だそうです。


  

※『高宮への悠久の道』                  ※『高宮祭場』



この宗像大社、いにしえから海上・交通安全の神として信仰されていて、その為、福岡県内では宗像大社のステッカーを貼った自動車が多数見受けられるほか、新車を購入した際に御祓いを受ける人も非常に多いとのことです。わたくしが神社に来ると好んで探すのが、やたらあちこちにあるしめ縄。ここにもあそこにもあるのが好きで、よくうろうろします。何気ない木や石にまでしめ縄をつけるあたり、身近な自然を崇敬する心に感動したりもします。


※『御神木 楢の木』〜しめ縄が見えませんね、、、


沖ノ島沖津宮に鎮座されておられる田心姫神様にはご拝謁かなわぬようですが、大島は中津宮におわす湍津姫神様にはお参りできる由、さっそく向かうことにしました。大島にはフェリーで行くことになりますので、その前に腹ごしらえです。お美しい女神様に謁見賜わるに、お腹を空かして貧相な顔をしている場合ではありません。


※こちらも『宗像大社公式HP』より拝借


お昼ご飯は、海の神に敬意を表して、もちろん魚です!



※本文中の神社の説明文は宗像大社公式HP(http://www.munakata-taisha.or.jp/index.html)、ウィキペディアの『宗像大社』を参考にしました。