【旅行記】Vol. 18 カトヴィツェ(ポーランド)1


 カトヴィツェで降りると我をはくず鉄のような電話ボックスに向かいました。B氏に電話するためです。ポーランドの法律家に我々がいま到着した旨を伝え、15分で行くから駅正面の電光時計の下で待つように言われました。
 
 
 奇妙な東洋人3人を行き交う人々が好奇の目で見ていくのを見返していると、若い兵士が近寄ってきてたばこをくれないかと言いました。ちょうどYが吸っているところを見ていたようです。一本渡してあげると、嬉しそうに吸い始め、いろいろと話が盛り上がります。
 

※カトヴィツェ駅(これは昼です)

 
 彼は日本語はもちろん、英語も出来ず、当然我々もポーランド語など出来ないのに、どうやら彼はこの街の出身で、今は軍隊に入っていて、近くの部隊に配属されており、今日は休暇で戻ってきているが、明日にはまた戻らないといけない、ようです。本当に彼がこの街の出で、軍人で、近くの部隊に所属していて、休暇中だけど明日は戻るのか、確信めいたことは申せませんが。
 
 
 その兵士が去った後。酔っ払いの2人が現れ、何やらこっちを見てわめいております。若造ですが、片方はわめく相棒を制止しています。こういう場合、ケンカになる前に、こちらが日本人であり、親日家が多いポーランドの人々でも知らないあやしい技を知っているよ、ということを示さなければなりません。武力行使は最後の手段であり、その段階に達するまでにあらゆる外交折衝をするのが国際政治のルールというものであります。
 
 
 それをわきまえた僕らが未知の相手に向かって出来る《外交》とは、きかん気のならず者国家がまず取る手段、ハッタリです。恐ろしいミサイルがあるぞ、と脅しをかけるように、我々も変な技を知っているよ、と教えて上げないといけません……しばらくすると、相棒が制止したまま、どこかに消えてしまいました。どうやら我々の《作戦》はうまくいったようです。
 
 
 ミスターBが30分経った今、堂々たる、文字通り堂々たる足取りで現れました。
「いやいや、すまんね、チミたち。さあて行こう!」
 小雨が舞う中、駅付近でも薄暗いカトヴィツェの街に出ました。
 ガソリンスタンドの前を通ったり公園を横切ったり道路を渡ったりして彼のアパートに着きましたが、それは僕が住み着いている汚い崩れそうなアパートは違います。
「この前の大震災でも立派に耐えたじゃないか。尼崎、震度6だったんだろ? そういうことを言うと忘恩の誹りを免れんぞ」
 T君の言葉も然りというところです。あの大震災の破壊的な震動によく耐えたと思います。


 でも、雨漏りは僕が住んでいた六年間、一度も止まりませんでした。