物書きの夢

私もナニガシかの文章をものそうと思って日々苦悶を続けておりますが、『物書きの夢』というものの1つにいつまでも長く読み継がれていくこと、というのがあるのではないでしょうか。自分の作品が子々孫々、版を重ねて後世に残るというのは《作家冥利》に尽きるのではないかと思ったりします。


そう考えると、かのユリウス・カエサルはその『物書きの夢』をかなえた人物として最高峰の1人になるのではないかと思い至ったわけです。彼の作品『ガリア戦記』と『内乱記』は今でも版を重ね、世界中で読まれています。特に『ガリア戦記』は8年(実質的な戦闘は7年・戦後処理が1年)続いたガリア各地での戦闘などの記録を元老院に報告するために書き綴った、言わば《報告書》。『内乱記』は、当時最高の武将と言われていたポンペイウスを向かうにまわして“反逆者”として闘い抜いた数年を記録した、同胞に向けて書いた作品。


成り立ちは違うにせよ、カエサルのこの2作品は未だに世界中で読まれています。当代最高の弁護士、哲学者、そして文章家と言われていたキケロと双璧を成す名文家で、カエサルの文章に与えられた賛辞は「簡潔、明瞭、そして洗練」。共和制ローマ最高の哲学者キケロとともにラテン語を完成させたと言われるほどです。


ガリア戦記』のカエサルは、颯爽と、文字通り颯爽としています。ガリア担当の司令官(本当はガリア一地方の総督)として、現在のフランス、スイス、オランダ、ベルギー、ドイツ、イギリスの一部を、彼には地獄まで付き合うと決めた部下たちとともに縦横無尽に転戦する姿は、まさに“男の中の男の、さらにその中の男たち”まで惚れると言われるカエサルそのもの。


『内乱記』のカエサルは、それとはうってかわって苦悩しています。内乱という弁明のしようもない不幸に訴えねばならなかったカエサルの、ローマの将来はこの内乱に勝利することのみによって決せられるという決意と、親兄弟、家族、友人を引き裂く内乱を戦わねばならなくなった苦渋が、この作品を、短調のトーンで書かれた陰影の彫りを感じさせる作品にしています。


塩野七生氏はその大著にして名著『ローマ人の物語』の中で「彼はヨーロッパを創造しようとしていた」と書かれています。所詮ヨーロッパは彼が創った、と。また、歴史家なのにノーベル文学賞を受けたドイツのモムゼンカエサルのことを「ローマが生んだ唯一の創造的天才」と賞しています。まさに時代に冠絶した、という言葉がふさわしく、後代の野心家、政治家、将軍などで、彼を意識しなかった人は1人もいないのではないかと想像したりします。


カエサルは、本来なら、文章家としてではなく、古代ローマを代表する政治家、将軍としての業績のほうが有名でしょう。業績については賛否があるにせよ、絶大な影響力については異論の挟みようもないほどの人物ではないでしょうか。それ以外にも、信じられないくらいの借金大王、“ダンディを地で行く”(塩野七生氏の表現を拝借)女たらし……いや、プレイボーイとして知られていました。


男を熱くさせる。


カエサルに過ぎたる人物を、私は知りません。