【旅行記】2. 旅立ち……でもまだ関空、、、

 2月28日。
 徹夜でファミコンをしつつ荷物を整えた我々は抜かりなく持ち物をチェックします。ドライヤーもひげ剃りも置いていきます。これでコンセントの形や電池の液漏れを気に病む必要はありません。そして、必要かどうか迷うものは置いていく、という原則を守り、最小限に抑えたのです。Tはバッグまで最小限に抑えたかったらしく、訳の分からないスポーツバッグに少ない荷物を詰め込んでおりました。
 

 電車を乗り継いで出来立てほやほやの関西国際空港まで行きました。湯気が立ちそうな勢いで、完成直後の教室に漂う匂いを感じることが出来ます。非常に明るく、巨大な吹き抜けがとても開放的です。床はぴかぴかで、あちこちに置いてあるソファはつやつやしています。それにとても広く、ちょっと郵便局に用足しを、といっても遥かな距離を歩くというところにこれから始まる旅の壮大さを感じたものです。
 



 旅行会社に説明を受けた後、空港税と称して大金をぼられ、夜逃げみたいな荷物をコンベヤーに置くと、こっちはこっちでゲートを通過。時々、頭の悪いおじさんが「ワシのは立派なんで鳴るかも知れんなあ、わはは!」などと言うらしいですが、警備の仕事をしている友達によると、鳴った試しがないそうです。そんな時は「何よ、あんたのたいしたことないじゃない!」と言いたいそうですが、なかなか言えないのよねえ、ということらしいです。まあ、それはそうでしょうね……
 

 実は僕は飛行機が苦手です。飛行機の理論を最初に発表したツォルコフスキーは偉大ですが、飛行機に乗せようとする旅行会社、航空会社の連中は拷問係であります。しかも財布の具合によって座席と食べ物に優劣をつけるなど、経済基盤が極めて脆弱な僕からしてみれば悔しくて悔しくてたまりません。などと文句を言っているうちに、我々は飛行機の最後尾の座席に放り込まれ、シートベルトで固定され、たばこを吸うなとおどされ(もともと吸いませんが)、緊急の場合死ぬと諦める前にこれをやれと教え込まれ、フライト時間は十時間半だと懲役期間を吹き込まれたわけです。

 
 気合いを入れて助走を行い関空を飛び立ったコペンハーゲン行のスカンジナビア航空は、日本海を越え、ロシアに入り、シベリアに差し掛かります。目的地までの行程の七割ほどはロシア上空です。さすが《母なるロシア》。シベリア流刑に処された流刑囚たちが火星の裏側に行くような気持ちになったのも無理はありません。
 
 
 ちなみに徹夜のせいで、機内ではぐっすりと眠ることが出来ました。映画は楽しくないし、雑誌や新聞はあらかた読んでしまったしで、もう眠るしかなかったからです。僕自身はあまり乗り物で寝られないナイーヴな神経なので、こういう時に眠れるのは、普段のよい行いのご褒美みたいなものだと感謝しております。「その程度がご褒美とは、常日頃たいしたことをやってない証拠だな」そんな折、晴れて教師となられるY君は辛辣なことをおっしゃるのでした。


 到着に先立って、現地で逗留するアストリアというホテルの場所を確認しないといけないのですが、あいにく手持ちの本には書いてありません。そこで最も綺麗なスチュワーデスに尋ねることにしました。わざわざ美人を選んで尋ねたのか、この女好きめが!……と痛罵なさる人にはこう申し上げましょう。それは当然のことであり、男の義務ですらあります。どうしてこんな美人が搭乗なさっているのに、その人を無下に退けて他の乗務員を捕まえる必要があるんですか、と。また、言うまでもないと思いますが、そのかわいい人が地図まで書いて教えてくれる間、僕らはその地図ではなく、その人の魅力的な目や唇を眺めておりました。
 
 
 すみません。次からいよいよ本題です……前置き、長すぎですよねえ……

 あ、ちなみに下の画像は。行程中……17日間……にヒゲを一切剃らなかったらどうなるかの実験の《使用前》です。
 さて、これがどうなることやら……



                                                      続く