『罪と罰』/ドストエフスキー

浪人生の頃、今は亡き朝日ソノラマ文庫ばかり読んでいたのですが、一度くらいは高名な文学作品なるものを読んでみようと思って手に取ったのがドストエフスキーの『罪と罰』。確か19歳くらいだったと思うのですが、成人になる前でもあり、知性はともかく教養くらいは身に付けようとスケベ心を起こしたのが全ての始まりでした。


※これを手に取ったのが全ての始まりでして、、、


罪と罰』の冒頭部分は、カミュの『異邦人』ほど有名ではありませんが、舞台が始まるようだと言われる入り方をします。暗い颯爽さとでもいうのでしょうか、いきなりそんなところに魅了されてしまいました。だからといって、一気に読み終わって、素晴らしかった、さすが世界文学屈指の名作だ!……と感心したわけではありません。ロシア人の名前が覚えにくいというのは置いても、暗渠の中から立ち上る瘴気に満ちた感じのする内容、人物が入れ替わり立ち替わり現れては錯綜していく様、あの時代のロシアの黒煙のような雰囲気に包まれた感じ。。。新潮文庫で上下に別れたこの作品を読み終わるのに1ヶ月くらいかかりましたが、しかしながら、途中から夢中になってしまい、読む速度は指数関数的にとは言いませんが2次関数くらいの増え方で増していき、読み終わった後は宙に放り出されてしまったような気持ちになりました。そして、何度も何度も読みました。読んでも読んでも喉が渇いたようになったので、いつもバッグの中に入れていて、手が空くと読んでいました。いわゆる“ドストエフスキーの毒”に当たったのですが、もう少し高尚だと“文学的洗礼”と言うそうです。


   

※さすがに20年も経つと装幀もかわるようですね。


主人公ラスコーリニコフを中心に、娼婦ソーニャ、親友ラズミーヒン、妹ドゥーニャ、予審判事ポルフィーリー・ペトローヴィチ、ドゥーニャの許嫁ルージン、田舎の地主スヴィドリガイロフ、寡婦カテリーナ・イワーノヴナ、酔っ払いマルメラードフなどなど、様々な登場人物が現れては個性的な役柄を演じてペテルブルグの街を彩ってくれるのですが、この小説の本当の主人公はペテルブルグの街そのもの、という評論家もいるぐらい。この小説のクライマックスは恐らく、ラスコーリニコフがソーニャの部屋を尋ねて聖書のラザロの復活の部分を読ませる部分でしょう。2人の魂と魂の闘争が、窒息しそうなほどの緊張感をはらんで描写されます。


この小説を読んで他の彼の作品も全て読み、次いで他のロシア文学も読みまくり、そこから派生していろいろな本を読むようになり、ロシアに出掛けてドストエフスキーの墓参りをし、東京の大学のロシア文学科に編入しようとロシア語の勉強をし、試験前に飛び込みで教授に電話をかけて会ってもらって心構えを聴き、試験にはびしッと滑って今に至る、というわけです。


全てドストエフスキーの『罪と罰』のおかげ……いや、『罪と罰』のせいです。
この作品を読んで、小説家になろうと思いました。
まだなれていませんが。


20年ほども前につけられた火は今でも消えないようです。