「シラー作、頌歌『歓喜に寄す』

を終末合唱にした、大管弦楽、四声の独唱、四声の合唱のために作曲され、プロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム三世陛下に最も深甚な畏敬をもって、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンによって奉呈された交響曲、作品125番」……


いやはや、長い名前です。これ、誰知らぬ方はいないと思われるベートーベンの第9の正式名称です。年末になると特によく聴かれることになる恒例の交響曲でして、ベートーベンの交響曲の最高傑作、時代に冠絶した名曲、後世の様々な作曲家に多大な影響を与えた、と言われています。


今日はこの交響曲についてちょっと考察を(そんな高級なものじゃありませんが)。。。


この曲が店頭に並ぶ時の名称は『交響曲第9番 ニ短調《合唱付き》 作品125』です。この交響曲ニ短調を基調に書かれている、というわけです。一般的に短調というのは悲しみなどの暗い気持ちを表現すると言われていますが、フリードリヒ・フォン・シラーの華々しい頌歌を用いて歓喜を爆発させるこの交響曲短調で書かれている、、、なぜだろう、と思ったのが始まりです。


この第9が完成した時期……つまり1824年はヨーロッパはいろいろなことがあって上へ下への大騒ぎの真っ最中。この曲を奉呈されたフリードリヒ・ヴィルヘルム三世の治世はナポレオンだのプロイセンフランス革命への干渉だのティルジット条約だのと、地震のような激動の時代……


これほどの歓喜が爆発した曲なら長調……ハ長調辺りで書かれてもいいのかななどと素人の私などは思ったりするのですが、ベートーベンは、こんな天地が逆さまになったような時代だからこそ、こてこての理想を込めてニ短調で書き上げたのではないかと思ったりするわけです。胸の内は理想で燃え上がっているのに、現実を直視したらそれどころではなく、国の行く末も自分たちの生活も霧の中……時代の雰囲気が決して自らの運命を楽観することを許してくれず、未来は予断を許さない日々の彼方にぼんやりと漂う影のようなもの、だというのがこの頃の世相だとしたら、、、


これほどのパワーと喜びを大管弦楽と4人の独唱、そして大規模な合唱団を用いて表現する曲が、実は短調で書かれたということを考えると、耳が聞こえなくなり、人を避けるようになったベートーベンの胸中を垣間見るような気がしてしんみりと考えさせられます。。。


音楽にはこういう楽しみ方もあるのかな、と思ったりします。


もちろん、これはまったく私の想像です。ニ短調で書かれたのはもっと別の理由があるんでしょうし、音楽的にこの調性が最もしっくりいくのかも知れません。専門的なこと、学問的なことはとんと疎い私です。それに、ベートーベンにしてみれば《時代の雰囲気》なんぞ知ったことか、となるのかも知れませんしねえ。。。


ちなみに私が最近愛聴しているのは


アルトゥーロ・トスカニーニ/NBC交響楽団
 ※1952年3月31日&4月1日 ニューヨーク・カーネギーホール


です。
彼自身が「これまで50年、この作品を研究、指揮してきたが、この録音が私の考える作品像に最も近い。今回の出来にほぼ満足している」語った演奏で、トスカニーニが発売を認めた唯一の録音が収められたCDです。とてもいいです。